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なんとか6月

なんとか6月。まさかの異動を知った3月下旬。それから心の準備もなく、体だけで4月を迎え、It's been a hard days night and day, and I've been working like a dog.の毎日。気が付くと6月1日。なんとか6月という心境。しかし、この2か月で「縁」というものを肌で感じ、また「縁」の重さも痛感した2か月だった。これまでの「縁」のあった方々と様々なところ・場面でつながらせていただいた。そのつながりがなかったら、なんとか6月を迎えることはなかった。「縁」は偶然も多いだろうが、ほとんどは必然だと思う。自分から関わり、積極的に興味関心を持ちながら、様々な方々と交わう。そこには出会いがたくさん待っている。そして出会いの先には「縁」。出会いの後にも「縁」。そんな「縁」に支えてもらいながら、なんとか6月。さらに最近思うに、今ある自分の状況を好転させながら、次の方にバトンを渡したい、と痛感している。いわゆる「面倒なおみやげ」は次の方に渡さないように、ひたすら畑を耕すのみ。まいた種が芽を出したころに身を引く。そんな人生を送っていきたい。さあ、耕すぞ!!!
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私の原点

3月16日(土)私は原点に戻った。大学時代のB研の現役生&OBライブに参加させていただいた。旧友や先輩に会うのは30年ぶりということになる。最初は、照れくさいやら何を話題に話そうかと、ぎこちなかったが、ライブもさることながら、打ち上げ会で一気に原点に戻った。あの時の様々な景色が目の前に広がった。渋谷で乗り換え日吉で過ごした1年間。部室で授業をさぼってビートルズ議論を交わしたあの瞬間。新入生歓迎のための日吉校舎中庭でのライブ。青学や早稲田との共演。慶早戦の帰りにジョッキを交わした銀座。先輩の靴を買うことで銀座リーガル本店までの車での会話。ラーメンジローの本店でドイツ語の先生と同席して、結果として進級させていただいた時のあの味。銀杏の葉を踏みしめて心地よさを感じた三田祭。合宿での帰路で突然車のギヤー・ミッションが壊れ、セカンド発進した無謀な行為。。。。みんな蘇ってきた。後輩や現役生がつぶやいていた言葉。「社会人になってもバンド活動続けていいんだ。続けたいなあ。」どう
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神の見えざる手

ごく最近、ある方のお通夜に出向いた。60前の若いお方。ご家族もさぞかし悲しんでおり、想像を超える状態とお察しできる。葬儀場には次から次への人が集まる。会場に入りきれないで、控室が何部屋も準備されお焼香の会場へとつながり、誘導される。突然の病に人生にピリオドをつく。なんという悲しさ。しかし、現実でもある。これだけの惜しんで訪れる人の数。故人の人柄を象徴するかのよう。事実、素晴らしい方だった。人の一生は決められている。たぶん。自分の意志とは関係なく。だからこそ、思いっきり自分の人生を謳歌したい、と思うが、ままならないことのほうが多い。時を同じくして、日本の水泳界のスーパースターが病を発表。実に衝撃的。「神様は、乗り越えなれない試練は与えない」とご本人の弁。18歳とは思えない、心の心境。昔から、私も同じことを考え、また感じてきた。今の自分の状況。今の自分の置かれている環境。今の自分が直面している課題。すべて、神の手によるものと感じる。いや、そう感じたい。自分だけ不幸と思いがち、こうなったのは君のせいだと他人に責任を負わせがち。1つ1つ潰れそうになっても、課題を解決していく。いや、解決できなくても、自分のこととしてとらえることが大切だろう。マスコミをはじめ、政治家までもが、他人事のように扱っている。そっとしてあげるが一番。神の手によって与えられた状況は、本人の手によってしか解決できない。人生修行。腐らず、今を受け入れ、今を楽しむ。そんな人生観を再認識して、ものを思う。
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高齢者の力

数年ぶりに93歳になる叔母を訪ねた。従妹の年賀状を見て気になっていた。思い切って従妹に連絡をして、叔母のホームで落ち合うことになる。昼頃に合流する予定であったが、11時には到着し、叔母と様々なことを話す。懐かしいせいなのか、誰と認知していたからか、周りの雰囲気なのか、涙を時折ぬぐう叔母。それを見てもらい涙をする私。しばらくして従妹たちが合流。昼食を叔母は済まして、部屋でみんなで盛り上がる。やはり懐かしい空間。基本的にはみな変わりない。3時間近く滞在したホームを後にする。いきなりホームのエレベーターが電気停止で閉じ込められることを除いて、大きなハプニングもなくみんなで遅い昼食。やはり昔の話をするかと思いきや、高齢者・障害者の話が話題となる。いわゆる弱者についてみんなで話した。そのあと、母の眠るお墓へ向かう。きっと母も叔母と同様に喜んだことだろう。そんな体験をさせてくれた叔母に感謝。高齢者の力である。
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連続ライブ終了

2019年の11月23日、12月8日、そして2019年1月4日と続いたライブも無事に終了。なかなか練習の日程調整も厳しい中、メンバーの協力でなんとか乗り切りました。特に、年初めの1月4日ライブは、1月3日に練習のみという状況でしたが、とても楽しいライブでした。様々なライブがありましたが、ライブハウスのマスターの誕生祝いライブという企画は、ありきたりのような気がしましたが、これが目から鱗の経験でした。器用なマスターに助けられたのもありますが、「これはライブではありません。うまく演奏するということはやめてください」という言葉で始まったライブでしたが、本当に心から楽しむことができました。音楽とは何かを改めて感じることのできたライブでした。しかしながら、ライブには想定外がつきもの。今回はきを楽にして臨みましたが、アコギのピックアップの電池キレ?という経験をしました。これも貴重な経験です。備えあれば憂いなし、です。また、様々なライブハウスで知り合ったバンドの方々と親交が深まり、これも大きな収穫。今年もガンガンいきます!! でも、疲れた3連続ライブ。。。。。
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偶然、いや運命?

25年ぶりくらいに大学の友人に会った。場所は京都。仕事のついでに調整して、京都の五条で落ち合うことに。なんだか男性なのに、胸が高ぶる。初デートのような心境。早く着いてしまい、鴨川周辺を散策。おじいちゃんが川の鴨にパンのえさをやっていた。いいなあ京都。そして時間。懐かしい顔に会うが、しばらくは変化の多さにお互いに戸惑う。話しながら歩くこと3分、あっという間に大学時代に戻る。お互いに変わったなあ、と思う顔もなんだか大学時代の面影が。そしてお店に。かなりマニュアックな選定のお店だが、気にいるには時間は要らない。沢山注文し、沢山お酒をいただく。その時、横に一人で入店し、カウンターに座った20代の女性から声かけ。「失礼ですが、先ほどから話が漏れてきて、どうやら同じ大学。つまり私は後輩だと思うのですが」という。えっ?あり得ないが、あり得る。なんと同じ大学の後輩だった。しかも、私たち同期の娘のような年齢の後輩。それから記憶がないくらい盛り上がり、気がつくと4軒の梯子状態。夢のような京都の夜は祇園で最高の時を終えました。翌日、私の頭が。。。。。自業自得。
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市谷台からの景色

久しぶりの休みを活用して、市谷にある防衛省の施設見学ツアーに参加した。物々しい警備の中をIDカードを受けとり、ゲートを通過し、いよいよ本丸へ。六本木から新しくなった施設の建物を通り越し、あの建物の前に。教科書で見慣れているはずの記念館(第一庁舎)は意外と小さかった。ここで東京裁判も、三島事件も起きた場所、と思えないほど整っていた。感慨にふけっているときに、ガイドさんからの声かけを聴き、いよいよ中へと進む。靴を脱ぎ、青いスリッパに履き替え、大講堂へ。そこは別世界だった。奈良材の寄木をいくつも重ねた床。しかもよく見ると、歪んでいる。というよりも山なりになっている。正面には玉座が凛凛と立つ。そんな冷静な観察も中断され、ガイドさんの指示のとおり準備された椅子に座り、ビデオを視聴する。この大講堂の歴史を教えてくれるビデオであった。東京裁判のシーンでは、ビデオを止めて、実際の現場で検証までしてくれる防衛省のサービス。ビデを終了とともに、大講堂での自由見学。様々な展示物を満喫するには時間がない。一気に見学した後にトイレ休憩。そして、もともと2階にあった1階の大講堂を後にして、2階へと誘導される。もともと建物は陸軍師範学校の建物。最初に案内されたのは校長室。のちに大本営では、陸軍大臣室。そう、あの三島事件の現場の部屋。部屋のガラスからバルコニーを臨む。三島由紀夫が演説をしたバルコニー。三島と同じ目線で世間を観る。なんともいえぬ感情が湧く。さらに扉には三島が切りつけた刀の傷跡が三か所。本気度を体で感じた瞬間だった。さらに隣の部屋へ。天皇が控えていた特別部屋。昔風のエアコン完備の部屋。どんな思いで控えていたのか。。。何枚か写真を撮り、外へ出る。そこで見学者の点呼。こんな場所に一人で残る人がいるとは思えないが、防衛省のルーチーン。その後、様々な場所に案内されたが、あの記念館の放つ異様な空気に勝つ場所はなかった。最後は、殉死された方々の記念塔へ。そして解散。帰り道は、三島の顔が脳裏に浮かび、どうも落ち着かない。自身で腹をさばき亡くなったが、常人ではできないくらいの傷だったらしい。腸は腹から飛び出し、眼は見開き、体は硬直したため、うまく首を落とす介錯が出来ず、役割を担った森田氏は3回損ねたそうだ。その本人は仲間に一発で介錯されたという。盾の会という思想集団を率いた三島由紀夫。覚悟を完全にした末の結末。言葉がない。そんな市谷台を去る時に、どこからともなく流れてきたビートルズ。1970年の三島事件、1970年のビートルズの解散。どれも大きな時代の一事件だったのかもしれない。
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3度目のリッキーさんとジョイント

あのリッキーさんと地元所沢のライブハウス・サウンドストーンでご一緒させていただきました。ライブは3回目ですが、前回は実現できなかったものの、今回はマスターの声かけで、ステージでリッキーさんとご一緒させていただき感激。今回のライブは2部構成。1部は、ガットギター中心のパターン。なんと、ポールのNo more lonely nights をギター1本で再現。圧巻の演奏でした!! そして2部はバンド編成。このライブでは初めてエレキのリッケンバッカーを弾きまくっていました。いい音、そしていい感じのボディー色。つやがなくなりかけた渋みがたっぷりしみ込んだリッケン。ストラップはオリジナルで「RICKY」の文字が刻まれていた。そして、そして、And your bird can sing を歌わせていただいた。ハーモニーまでつけてくれ、涙がでそうだった。色々アドバイスもいただきました。その1「どうやって声を維持しているのでしょう」、帰宅後は常にうがいを重視していること。睡眠時間を確保すること、だそうです。その2「ライブ中は誰に向かって歌っているのでしょうか」、もちろん目の前の観客の方々ですが、ある特定の方を目に浮かべて歌うこともあるそうです。その3「ボーカルのパワーはどこからくるのでしょうか」、ステージに上がると人格が変わってしまい、いつ倒れてもいいくらい一生懸命に思い切りはりきってしまうそうです。そんなリッキーさんのような格好いいオヤジになりたいものだ。次回は1月あたりに所沢にいらっしゃるそうです!!デビュー45周年、まだまだ若い67歳のリッキーさんでした。
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主役とは。

テレビやマスコミでは騒がしい。そう「パワハラ疑惑」である。政治の世界しかり、スポーツの世界しかり。「高圧的ないい方はしていない」とパワハラ側本人の言い分。ちょと待ったである。「そんないい方はしていない」という「そんないい方・パワハラの高圧的ないい方」かどうかは、言われた側本人が決めることである。自分の放った言葉を放った本人が後付けで分析・評価することはできない。評価・判断するのは第三者委員会でもなく、言われた本人が判断することだ。いったい主役はだれ?そもそも力の上(人間関係の力学上)の人が2人、呼ばれた人1人という構図そのものが、パワハラである。そんなことも分かっていない発言者、そしてマスコミ。言った言わないが問題ではない、そんな小学生の喧嘩レベルで事を進めてはいけない。パワハラの認識、相手の立場にたって感じる力こそ一番重要である。自分の感情には敏感なくせに、不利・不利でないというさじ加減には敏感なくせに、相手がどう思い・どう感じるのかを感じない力の無さが問題である。財務省などの「忖度」も同じ。一番上(行政上のトップのあの方)にどう思われるか、よく思われるように行動したい、自分の利益になるようにふるまいたい、そんな気持ちが「忖度」。忖度をさせてしまうこと自体がパワハラが働いたという証拠。一番上のあの方は、いまだに「私からは何も言っていない」という発言。人間のコミュニケーションの8割以上は非言語、すなわち言葉以外の表現・雰囲気、いわゆる空気。相手は言葉でなく、空気をしっかり読み取り対応した「忖度した」ということ。意識が薄い大人が多すぎる日本。全世界的に「自分ファースト」の嵐。過日亡くなったアレサ・フランクリンさんの葬儀で、スティービーワンダーが言った言葉を全世界の大人に捧げたい。「愛をもって、愛だけが、この世界をもっとよくしてくれる」。アメリカのTさんの言葉を皮肉った素晴らしい言葉。皆さん忘れていませんか。愛とは何でしょうか。自己愛の前に他人愛。まさに、All you need is LOVE ならぬ All we need is LOVEでしょう。なんだか歌いたくなった。。。
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ポール7回目の来日!!

ポールが7回目の来日を発表した。東京2回・名古屋1回という内容。待てよ、である。3回のコンサート、しかも東京の後の名古屋までの間があいている。ということは、追加公演がある、ということであろう。未だ発表されていないが、期待値100である。というのも、東京2公演は、私の沖縄出張と被っている!!なんということか!しかも名古屋は重要な仕事の出勤日。なんと、なんと。ポールの嫌がらせ?と思ってしまうほど。今の私はファンを中心とした「ポール来日追加公演説」をおおいに支持する、というわけである。親子3人での新潟・長野の珍道中に知ったポールの来日。これは、何が何でも行くしかない、が。仕事であれば。。。ここ数日、追加公演の情報で、寝ることのできない日々が続く。なんとかしてください。ポール!!
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