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父の死

父が亡くなった。92歳の人生に幕を閉じた。本当は100歳まで生きて欲しかった。私は母の死を5年前に経験し、すっかり自分がマザコンだと思っていた。しかし、父の死を経験し、マザコンでなくファザコンだったかもしれないと思った。それほど父の死は堪えた。ついに両親がいなくなった、という虚無感なのか、喪失感からくるものなのか不明であるが、とにかく堪えた。ジョンレノンはマザコンだというのが定説だが、本当はファザコンだったのかもしれない。だからこそ、あの名曲「Mother」が生まれたのではないだろうか。年が増すにつれて、父と酒を飲みかわす時の会話がなくなった。というよりも、話さなくても「沈黙の空間」が心地よかった。それが最高の幸せの瞬間だった。もう味わうことが出来なくなってしまった。墓前の前で、今度は盃を交わしたい。今までありがとう。母と仲良くゆっくりお休みください。
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迫る恐怖

迫る恐怖。迫るショッカーより怖いコロナ。様々な自粛をしながら、ここまできたが、また大きな壁。人は時間とともに、防衛機制が働くようだ。慣れからくる「恣意的な忘却」。いやなことは忘れたい、それが防衛機制。それが人の性。GO TO トラベルならぬ、トラブル状態。皆困っている。皆困惑している。私利私欲に溺れる政治家。世の決まり事を作るのが仕事のはずの政治家。自分を律する決まり事でさえ、作る脳能力がない。これなら無政府、アナーキーのほうがまし、と思ってしまう人も出てくる。政治離れ、離してしまっているのは、貴方方・政治家です。こんな時、ジョンのGive me some truth.を聞きたいものだ。ショッカーめ、コロナの次に退治してやる。
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どこがにゴールがある

どこかにゴールがある。そんな想いをいだきながら、数か月経過。コロナは一進一退の模様。というか、実情が伝わってこないのが現実。いったい数字は正解なのか。どこまで調べているのか、どこまで分析できているのか、どこまで見立てて発表しているのか。まだまだ大きな不安の中にいる。人は数か月も不安の中にさらされていると、おかしくなる。よく考えれば、これまでおかしくならなった(そこまで他人を見ていなかった)こと自体、異常だろう。不安の中に浸りすぎると、不安を他にぶつけて不安を拭い去りたくなる。所詮、人は弱いから。「攻撃」という防衛機制で自分を守る。ある意味究極の手段。不安を「攻撃」でなく、一時的にも感じなくするのが、「芸術」かもしれない。6月30日・7月1日といえば、ビートルズ来日の日。あれから54年も経ちました。YouTubeで7月1日版を妻と拝聴。しばしのタイムスリップ。たまには、タイムスリップすることが大切、「攻撃」は何の生産性もないから。ビートルズ万歳!!
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喪失

職場の大事な方が他界された。早すぎる逝去。一番驚いているのはご本人だろう。「やりたいことを沢山やれた」と御主人に漏らしたらしいが、御主人は「満足することはなく、残念無念というのが本当の気持ちだったでしょう」とのこと。その通りと思う。自分の存在意識を維持するためには、空しいとか心残りとはといった言葉は使えななかったのでしょう。実に不憫でならない。さぞかし無念であったと思う。沢山の同僚・教え子に囲まれて旅立った。故人の思いは遺った者が引き継ぐ義務がある。どうかどうか安らかにお眠りください。なかなか心がコントロールできず、帰宅中に映画館に立ち寄る。三島由紀夫と全共闘の対話のドキュメントの映画。もともと観たかった映画、コロナで中断されていた。思い切って鑑賞。三島由紀夫の別像(今までの自分の印象とのギャップ)を知ることができたことは意義が大きい。当時のセクトの争い、政治情勢なども理解できた。しかしながら、彼も学生も弁が達つ。知性の塊のぶつかり合い。そこには右翼も左翼もない。人として人生をいかに生きていくか、どうあるべきかを議論する様子。そこにその瞬間にいることができたら、と鑑賞しながら何度も感じた。その時代は、まちがいなくあった時代。三島は結果自決した。全共闘運動も終結した。その当時の学生は「敗北でない、世の中に吸収されただけ」と語っていた。その当時の彼らには、間違いなくあったのは「情熱」。三島由紀夫の情熱も同様に熱く存在していた。現代の世の中、政治・経済・教育、、、、「情熱」をもって臨んでいる大人はいるだろうか。感じるのは、「喪失」。同僚の死を迎え、別の意味での「喪失」。しかし厭世的に抒情的になっている場合ではない。「喪失」は「誕生」の入口。新たなる「誕生」を目指して、今日も生きたい。合掌。。
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レガシーになる価値

我が家にも「〇〇マスク」と「給付金」が届いた。全くのタイムラグ。「今でしょう」という渇望の時があったと認識がなくなったころの突然の贈り物。数日前に天安門事件30周年というニュースが流れる。これから数年後、何もなかったように世間は動き、過去の出来事として歴史の教科書の片隅に登場するかもしれない新型コロナ関連出来事。「〇〇マスク」は果たして教科書に載るのだろうか。いわゆるレガシーになり得るのだろうか。メルカリに出しても誰も食いつかないし、寄付といっても時すでにう遅し。とりあえず自分で保管しておくしかない。出来えば、送られてきた時のままの姿での保存。レコードであれば、緑帯が価値のあるビートルズ。「3密」に関する注意事項のビラがあるか否かで、保存価値が上がるかもしれない。そんな不謹慎なことを考えながら日々を送る。数年後、数十年後、本当に価値があるのか否かは、そのものの価値で決まる。レガシーになりうるか否かは、そのもの次第。やはり「〇〇マスク」は古銭屋などの店頭には置かれないでしょう。せめて教科書には載って欲しい、「当時の政府・肝いりの総理大臣の愚策」として。。音楽や演劇を大事にしない政府は、これからも国民からは一生信頼されないでしょう。音楽の力を知らないPoliticianたち。本当に価値のある音楽やミュージシャンは、100年たっても廃れない、という事実を知らないまま人生を終わるのでしょう。ビートルズ万歳!!
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コロナ禍

先が見えない状況。コロナ。人類はこれまでこのような禍に対応・対抗してきた。今回も必ずや収束すると願いたいが。米国の裸の王様が就任してから、世界の流れは変わっていった。「・・・ファースト」という言葉が当たり前になった。ある意味自分を守ることが当たり前。言い換えれば、あの時代「ブロック経済」への流れと同じ。自分さえよければ、他人との接触など興味ないし、関係ない。そんな世界の流れは、文字通り「希望通り」の状態になった。しかし、希望していたのは政治家。一般民衆にまでその流れは波及したが。こんな状況になって、はじめて気づく。「・・・ファースト」は間違いだと。これほど世界が瞬時でつながっている時代。いまさらつなぎ直したい、とは言えないでしょう。なんていう人間の我儘。裸の王様は相変わらず裸。頭の中も裸。誰もがイライラしている状況。DVも増加しているとのこと。余裕のない心の中の現れだろう。人は元来「孤独の生き物」ではなく、「つながる生き物」だったはず。その根源まで許してくれないコロナ。コロナは我々に何かを投げかけている。また、弱者という層ほど放置されている状況。高齢者・障碍者・若年層。。。。こんな時こそ寄り添ってあげたいが、叶わない現実。面会もできない病院、不安の中過ごしている入院している父や友人。何もできない自分。何かしたい自分。
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社会的距離

コロナが止まらない。学校、病院、交通公共機関、市場、経済界。。。。。計り知れない不安。テレビやネットではコロナ評論。何が事実で何がフェイクか見抜く力も問われてくる。ある人は他人事。ある人は過敏反応。姿がわからず正体も不明な「相手」への対処の不安。不安な「相手」に接触しない方法として、家に籠るしか手立てがない。これまで意識もしてこなかった「自由」。改めて「自由」の意味を考えざるを得ない。感染防止のための「社会的距離」。この物理的な「距離」が国同士の「距離」となり、個人と個人の間の精神的な「距離」となっていく。本当に怖いものは。。。これまでも人類は大きな感染などの壁と戦ってきた。にもかかわらず芸術や音楽は衰退しなかった。フリーランスが軽視される我が国。そんな国には本当の意味の「心の成長」はないだろう。今こそ、音楽の力も大事だと思うが。早く、ポールやリンゴが来日公演できる日がくることを祈るのみ。
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緊急事態

3.11以来の緊急事態となった。予期・想定できないことへの対応力は、これから若者や生まれてくる人たちに身についていなければならない資質。だからこそ新しい学習指導要領で文科省が「課題解決能力」と位置づけたはず。それには実際のモデルが必要。そんなとき、大人がモデルを示すべき時が来た。今回の新型ウィルスへの対応である。モデルになるべき大人、しかも政治家が指針・行動し、世の子どもたちにモデルを示すべき。実際には、後手後手に回り、挙句の果てには、根拠や論拠のない「感情的決定内容」。大人がこれでは、子どもが信じてついてくるはずはなかろう。流石、大人、といわれるような大人がいない。本当に人の弱さや人の痛みをわかっているのだろうか。次々に決定していく「〇〇自粛・中止・延期」の施策や方針。そもそも誰のための政治なのだろうか。学校行事をどう捉えているのだろうか。3年間の集大成の卒業式をどう思っているのだろうか。来賓として呼ばれ「△△でございます。ご卒業おめでとうございます」と紹介・アピールする場が卒業式だとせいぜい思っているのではないだろうか。そんな人にとっては一瞬の時間つぶしの時間。生徒や児童にとっては、卒業式はかけがいのない時間。これまでの集大成の時間であることを、どうか覚えておいてほしい。顔だけでなく根性まで曲がっている君には、わかるまい。こんな心境をジョンなら、どう表現するのかな。憎しみやくやしさからは何も生まれない。前を向いてあるこう。一緒に生きよう。Grow old with me.と歌うのでしょうね。
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気持ちを新たに

2020年になった。気がつくと58歳を超え、今年は59歳の年。来年は「厄年」でかつ還暦。なんだか早いものだ。朝起きて頂いた年賀状を1枚1枚拝見する。皆さんのご活躍やご健勝であることに、ほっと安堵する。今年は年賀状が作成できないかもしれない、という状況であったが、一安心で新年を迎えた。まだ還暦・定年先の人生を具体的に描ききれていないが、残り1年でじっくり考えていきたい。ライブの回数も減ってきたが、やはり仲間で集まって「音作り」をすることは楽しい。今年は「ジョンレノン」アルバムの50周年?とやら。Motherのイントロ部の物悲しい鐘の音。今年は仲間を説得して、アルバムのコピーに着手しようかな。。。
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変則3連休

新しい現場に異動してから、世間でいうところの3連休がない。今回も世間では3連休だったが、初日は出勤し一日勤務。内容は充実していたので、達成感のある疲労だったが。2日以降は、なんとか連休となり、丸太のように寝るつもりだったが、大学野球で母校の応援に娘と参戦。学生時代から、いつも最後の詰めで相手にやられる、というのがパターンだったか。今回も同じ結果。しかしながら、生ビールを飲み、焼酎を数杯あおり、気づいたらいい気分。試合中にもかかわらず、途中記憶が飛んでしまった。どうやら寝てしまったらしい。つかの間の疲労回復時間だったらしい。帰りの電車でも爆睡、帰宅後も夕食摂らず爆睡。実に心身共にリフレッシュ?の1日だった。連休最終日は、妻と最近オープンしたスーパーに自転車で参戦。なんだか雰囲気にのまれ、買う予定のなかった品物がかごにいっぱい入っていた。。。こうして2連休が終わるのであった。早くコイコイ3連休!!
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