SSブログ

喪失

職場の大事な方が他界された。早すぎる逝去。一番驚いているのはご本人だろう。「やりたいことを沢山やれた」と御主人に漏らしたらしいが、御主人は「満足することはなく、残念無念というのが本当の気持ちだったでしょう」とのこと。その通りと思う。自分の存在意識を維持するためには、空しいとか心残りとはといった言葉は使えななかったのでしょう。実に不憫でならない。さぞかし無念であったと思う。沢山の同僚・教え子に囲まれて旅立った。故人の思いは遺った者が引き継ぐ義務がある。どうかどうか安らかにお眠りください。なかなか心がコントロールできず、帰宅中に映画館に立ち寄る。三島由紀夫と全共闘の対話のドキュメントの映画。もともと観たかった映画、コロナで中断されていた。思い切って鑑賞。三島由紀夫の別像(今までの自分の印象とのギャップ)を知ることができたことは意義が大きい。当時のセクトの争い、政治情勢なども理解できた。しかしながら、彼も学生も弁が達つ。知性の塊のぶつかり合い。そこには右翼も左翼もない。人として人生をいかに生きていくか、どうあるべきかを議論する様子。そこにその瞬間にいることができたら、と鑑賞しながら何度も感じた。その時代は、まちがいなくあった時代。三島は結果自決した。全共闘運動も終結した。その当時の学生は「敗北でない、世の中に吸収されただけ」と語っていた。その当時の彼らには、間違いなくあったのは「情熱」。三島由紀夫の情熱も同様に熱く存在していた。現代の世の中、政治・経済・教育、、、、「情熱」をもって臨んでいる大人はいるだろうか。感じるのは、「喪失」。同僚の死を迎え、別の意味での「喪失」。しかし厭世的に抒情的になっている場合ではない。「喪失」は「誕生」の入口。新たなる「誕生」を目指して、今日も生きたい。合掌。。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。