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春・出会いと別れ

春は出会いと別れ。卒業式と入学式。転勤と異動。定年と退職。出会いがあれば、必ず別れがある。出会いはワクワク楽しいが、別れは物悲しい。そんな自分も昨年は異動で新天地にお世話になり、1年が経過した。緊張と不安、期待と困惑、複雑な気持ちで新天地でお世話になり、去る方々を送る立場になった。やはり寂しいものがある。しかし、どこかで区切りや節目がないと、これまた緊張感が保てない。人間や世の中はうまく出来ているものだ。年度末の忙しなさが、人との別れを惜しむ時間さえ奪っているせいか、ものすごく落ち込むこともなくて済んでいるのかもしれない。そう考えれば、出会いと別れは表裏一体。今年度もあとわずかで終わる。アッという間の1年間であった。充実していたのだろうか。ルーチンに流されずにいれただろうか。そんなことを1週間も早まった満開の桜を見ながら想う。
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共感力と涙腺の関係

卒業式のシーズン。仕事以外に3つの卒業式に出させていただいた。高校と中学校と幼稚園。期待通り「グッとくる」現象を避けることはできなかった。何にも利益利潤や関係が深いわけでもないのに、何故か涙腺は自分の意に反してしまう。何故だろう。あえて言えば、共感力でしょう。相手の感動している心境に自分の触角が反応してしまう。また、保護者の気持ちや先生方の気持ちが理解できる、ともいえるだろう。いずれにせよ、理屈ぬきで涙腺は緩みっぱなし、という状況。学校側からすると、結構多い考えは、「感動や涙を流さない生徒がいる、ということは、それだけの教育しかしなかった」「泣かない卒業式はダメ」と言ったこと。そんなことはないと思うが、涙腺が自由な自分にとっては、そのような意見は関係ないだろう。幼稚園の卒園式で、思い出の呼びかけや歌のシーンで、最初から泣きっぱなしの児童を見かけた。泣きじゃくり過ぎて、逆に心配なほどだった。おそらく本人も何でこんなに泣いてしまうのか自己分析できなかっただろう。初めての心の動きだったかもしれない。そんなことを考えて様子を見ていたためか、「頑張れ!」と叫びたくなった。そんないじらしい児童は涙でいっぱいであったが、とても輝いていた。将来が楽しみだ。さて、園長さんとの会話の中で、「今日は泣かないように心がけました」と。どうやって泣かないようにするのか。曰く、「般若心経」を心の中で唱え続ける、らしい。今度、涙腺が緩み始めたら、唱えてみよう。しかし、園長さんは続けてこう言われた。「しかし、泣きたくなったら泣く。泣くという心理状態を児童に見せることも教育。また、涙を流すことに対して自然に任せばいい」まさに、Let it beである。やはり、私は決めた。お経を唱えるのはやめて、自然に任せる。言い訳がましいが、それも教育かもしれないと思う。Let it be。
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3.11から7年

今日は3.11.あの日から7年の月日が経つ。今日はどこのテレビジョンでも、東北震災関連の番組ばかり。当たり前のことではある。しかし、どこか余所余所しい。当時、放射能に汚染された瓦礫を受け入れる自治体を探したが、東京都が一部の受け入れを表明しただけで、あとは「無理」の回答。まさに「県民ファースト」である。それでいて、福島から生み出し、運ばれてくる電気を平気で使っている。状況は今も変わらないどころか、ますます「○○ファースト」は加速している。自分さえよければいい、という姿勢は格好よくない。オリンピックでメダルを取ったアスリートの口癖「皆さんのおかげです」。自分のこととなると、「みなさん」は消えていく。今こそ、「みなさん」の気持ちを確認する時ではないだろうか。3.11はそんなことを教えてくれた。人は本当にショックを受けると、その時の状況が記憶として残らないように、いわば防衛機制が働くようである。目の前で、手をつないで頑張って励ましていた祖母が力尽きて津波に飲み込まれていく瞬間。屋根の上で励まし合いながらつながっていた夫婦の妻が瓦礫で姿が突然消えた瞬間。体験された方々は、みな口にする。「記憶がない」。そんなショックを体験され、本人は覚えていないし、また思い出すこともできない。復興は切れ目なく続けていくことを誓います、と某総理大臣。記憶があるくせに「記憶がない」と言っている方に、東北の方々の気持ちはわかるまい。合掌。
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でこぼこ家族歌合戦

カラオケは基本的に好きでない。以下は私の個人的な考えなので、それを承知の上で、お読みいただければと思う。作られた音に、合わせるように声をあてていく。そもそも音はオリジナルでなければならない。しかも、作られたカラオケの音に、自分の声を乗せていく、という感覚もどうも好きにならない。しかし、カラオケの目的を「歌うこと」に限定しなければ、それでもOKかなと思う。過日、娘と高齢の父と3人で一室にこもった。初めての孫と共にカラオケに入る父であった。最近高齢化とともに聞こえも厳しくなってきた。しかし、カラオケの音楽が鳴り出すと、そんなことは微塵も感じない、見事な歌いだし。立て続けに、5曲ほど一気に歌いきった。娘は「凄いね、音程も声量もしっかりしているね」と目を丸くしながら、白い歯を見せていた。最初は、遠慮しながら、というのも父の誕生日祝い、という位置づけてカラオケに誘ったので、父を中心とした歌合戦にしようとしていた。が、いつ頃からか、私と娘のステージになっていた。最初から飛ばしすぎた父は、「もう十分。歌いすぎた。若い子は元気で声量もあるね」と娘と同じように、やや白い歯を見せて笑っていた。後半に再び父のステージ。あっという間の3時間であった。それにしても父は村田英雄、娘はポルノグラフィティ、わたちはもちろんビートルズ。かなり偏向したミュージシャンと選曲。でこぼこ家族歌合戦の一コマ。父も90歳。
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